ただ今ハンバートハンバートの佐藤良成氏とツアー中。最終日の今日、突然新しいギターの演奏方法を思いついた。男二人の気楽な旅のつもりがこんな大発見をしてしまうとは!遂にオレは自分だけの音楽を発明してしまったかもしれない。
かねてから自分は、ギターという西洋楽器を使って非西洋的、東洋的な表現ができないかと考えていた。その具体的な方法については思いつかないまま、従来のギター奏法を学習してきた。それもまだままならない自分だが、ここにきてまた別の新しい道を発見した気がする。いや、そんな曖昧なものじゃない。オレは自分を発見した。オレは自由だ。これからオレは外に広がっていくのだ。
(中略)
一回目のテイクを終えてしばし悩む。うまく言い表せないが「自我」が出すぎなのだ。意識上にある全てを取り除きたかった。試しに二回目は耳栓と目隠しをして録音した。以前からflylineというユニットでギタリスト臼井康浩氏と視聴覚を完全に遮断した上でデュオ演奏を行ってきた。その手法でソロ演奏をしてみた。演奏時間も何も決めない完全即興演奏。床に足を組んで座り、精神と肉体が勝手に動き出すのに任せた。全く何も考えなかった。演奏が終わると55分程経っていた。エンジニア岡崎氏(本業はミュージシャン)曰く、「この演奏は何かがこもってるね。これでOKでしょ。」
マスタリングを終え、冷静に演奏を聴きなおす。一般的な意味での「音楽」からは程遠い。正直言ってこれがイイのかワルイのか分からない。本当に分からない。判断できない。だが演奏し直すことはしなかった。
(中略)
ほんの遊びのつもりで、54分43秒の演奏をまるごと逆方向に再生してみた。そしてそれを元の演奏の録音と重ねて再生してみた時、オレと岡崎氏は正直言って怖くなった。それが一つの音楽になって聴こえたからだ。現在から未来に向かう演奏と、未来から現在へ逆行する音とが、同時に違和感無く進行、展開していくとは!しかも元の演奏は即興だったのに!
ある程度調性感が安定しているソロ演奏であればそう聴こえるだろう、と思う人もいるだろうが、次の事実は説明できまい。
元の演奏の丁度真ん中(27分21秒の時点。これは即興演奏を終えた時点で初めて決定するもので、あらかじめ設定できない)を挟んで、前後二箇所に音量のピークが訪れている。25分43秒の時点と28分59秒の時点である。中心点から数えるとどちらも1分38秒の距離にある。ということは、前後を反転させた演奏でも全く同じ箇所に音量のピークが現れるのだ。このことはスタジオのコンピューターが波形の変化としてはっきり示した結果である。
繰り返すがこれは全くの即興演奏で、演奏者のオレは目隠しと耳栓をしていたのだ。時計など見ていないのである。元の演奏にこの新しくできた音源を加えて二枚組の作品にすることを決めた。
この時オレの頭にはこんなイメージが浮かんだ。(挿入図略)演奏開始から終了までの時間は半円を描いて進み、円の中心を挟んで反対側に有る、演奏終了から開始までの逆行する時間も半円を描いている。もちろん思いつきだけで描いたこの図は不完全だが。単にオレが抱いたイメージである。
奇しくもこのイメージはジャケットの一連の絵による物語が象徴していることの一つ、「循環性」と一致する。この物語は小林氏がウイチョル族に伝わる神話を元に再構築したものだ。奇妙なことに氏自身もこのcdジャケットという限られたスペース上に、壮大な神話世界から自分がこの部分を抜き出し、配置した理由がはっきりとは分からないという。
(中略)
そして今回ジャケットはこれまたふとした思い付きから、左右どちらか一端をねじってもう片方とつなげ、いわゆるメビウスの輪になる仕様にした。そうすることによってジャケット表裏とも左から右へ進行する物語は永遠に循環する。二枚目のcdを連続再生することによっても眩暈のするような連続性を味わえる。
偶然というか必然というか、そんなことが連続して出来上がった無意識の産物のようなこのアルバム、発売日は2008年8月15日の終戦記念日。これも3月の時点で決めていた。さてこれからはどうなることやら。